No Excel 情報共有のあり方を再考しませんか?2

少し前になりますが、クラウドデイズ札幌というイベント(2015年6月4~5日)を見学してまいりました。

その中でサイボウズ社のセミナーを拝聴してまいりましたが、そこで聞いた話と絡めて、タイトルのNoExcelという話を書いてみたいと思います。以前投稿したNo Email 情報共有のあり方を再考しませんか? というエントリの続きにもなります。

私が拝聴したのはkintoneというサービスの紹介セッションでした。

日本の労働生産性…

seisansei2014セッションの冒頭では、日本生産性本部が出されている資料(労働生産性の国際比較)に触れられていました。

日本の労働生産性が先進国の中で相対的に低いという内容で、要するに「長時間労働の割に付加価値が低い」という話です。
ショッキングな内容ではありますが、逆に考えると、まだ伸びしろがあるとも言えます。

「ホワイトカラー 生産性」というキーワードでググるといろいろ出てきます。

この労働生産性の課題解決への切り口はいろいろあります。雇用環境や、労務環境、業務マネジメント、組織風土など、様々な切り口がありますが、私が考えているのは、「情報流通」という切り口です。

かなり前の情報になりますが、日経ITProで「情報が見つからないホワイトカラーたち」という記事を見ました。

一言で書くと、「ホワイトカラー労働者は、勤務時間の25%を情報探索に使っている」というお話です。
8時間労働なら2時間です。割合としてとても大きく感じます。

この記事を見た当時、私は愕然としながら「あるある」、「でもコレ何とかしなきゃ」と思いました。

何故このようなことが起きるのでしょうか。

大枠の話で、「システムがクソ」「スタッフのスキルが低い」「ナレッジマネジメントが出来てない」といったモワっとしたことは指摘出来ますが、それだけはあまり意味がないので、もう少し課題を拡大してみることにします。大枠の話より視野が狭まりますが、話題としてはより具体的になります。

ここでは、ピンポイントに「ファイル」という課題をクローズアップしてみようと思います。

前のNoEmailのエントリでは、「ファイルを送る」という作業が、対象者の数と時間経過によって、ハンドリング出来ないほどに経路が複雑化していくという話を書きました。少し回り道になりますが、そもそも何故ファイルを使うようになったのかを整理したいと思います。
急がば回ります。

何故「ファイル」を使うの?

パソコンやネットワークストレージに「ファイル」を保管するという作業は既に一般的になっています。
しかし、私はこの「既に一般的になっているファイル保存」という作業が、実は「一般的・普通ではなくて例外」なのではないか、という疑問を持っています。

どういうことか説明します。

数十年前(アバウトですが)、ビジネスシーンでコンピュータの利用が始まった時は、データ処理はホストコンピュータで行われるのが一般的でした。

ネットワークで接続された中央のホストコンピュータに、エミュレータを搭載したクライアント端末からアクセスして利用するという形です。クライアント端末は画面を表示しているだけで、データそのものは中央にあります(モノクロの地味な画面の端末を見たことがある、使ったことがある方も多いかもしれません)。

そういった環境の中で、GUI(グラフィカルユーザインタフェース:要はマウスで画面操作が出来る)のパソコンが登場しました。Windows3.1あたりから爆発的に普及したようです。なぜ普及したかといえば、直感的に簡単にパソコン上の様々な操作が出来たからです。
ワープロソフトを使えば、きれいな文書を印刷できるし、表計算ソフトを使えばちょっとした集計作業が簡単に出来てしまう。

これに伴い、EUC(エンドユーザーコンピューティング)という言葉も出始めました。
パソコンの演算能力が飛躍的に向上し、ホストコンピュータ任せだった処理が、ユーザーの目線で、思い通りに実行できるようになったのです。
特に、エクセルのマクロ機能(後のVBAである)による処理の自動化は、おそらく多くのビジネスマンが小躍りして喜んだのではないかと想像しています。

これまでホストコンピュータで集中型で処理していたものが、パソコンに分散化され、ユーザ主導で処理できるようになりましたが、その際の管理単位が今話題に挙げている「ファイル」だったのです。
エクセルやワードなどは一つのファイルとして完結し、マスタとなるデータも、プレゼンテーション(デザイン)データも、マクロなどビジネスロジックも一まとめになりました。これは従来の「書類」を「ファイル」に置き換えるイメージで、直感的に分かりやすいものです。

ところが、インターネットとパソコンの普及がさらに進み、「一人一台が当たり前」という環境になると、分散化による別の問題が出てきました。
「ファイルの共有」です。

多くの現場で「パソコンのファイル」が量産されるにつれ、共働者とファイルを共有するというシーンが増えました。
そこで、メールや共有フォルダでファイルを共有する、といったアプローチがとられてきましたが、「最新版はどれ?正しいのはどれ?」「俺のが最新版だ」「いいえ、私のが最新版よ」といった「版」の問題も顕在化してきたように思えます。
共有フォルダでエクセルファイルを共有するという解決策もありますが、動作が不安定なケースもあり、完全な解決策ではありませんでした。

その問題を解決するアプローチとして、2000年代後半あたりから、クラウドサービスがクローズアップされてきました。インターネットの高速化・価格低下も後押しとなり、集中→分散の流れから、再度、集中という回帰の流れが出てきたようにも思えます。

shuchu_bunsan

さらに、そのクラウドによる集中化のアプローチには、大別して2つの手法が出てきました。

1.如何にファイルを簡単に共有するか
2.データそのものをどのように共有するか

の2点です。

1は、DropBoxや、Onedrive、Boxなどのオンラインストレージなどのアプローチです。「ファイル」というデータの最少単位の存在を前提として、如何にストレスなくファイルを共有するか、というアプローチです。
2は、WEB型のデータベースサービスなどに当たります。冒頭のkintoneや、kintoneに似た後発サービスの如意ボックス、Googleスプレッドシートなどです(Googleスプレッドは1と2の折衷とも言えますが)。

私個人は2のアプローチの方がスマートだと感じています。
過去に集中から分散へ至った理由の一つとして、ネットワークの問題もあったと思うからです。
貧弱なネットワークで、プレゼンテーションも含めたデータのやり取りをするのは現実問題難しかったはずで、分散化(=パソコンの利用)はそれをカバーするための例外的アプローチだったのではないか、と考えるからです。

ネットワークの課題がクリアされれば、分散化のメリットの一つはなくなると思うのですが、最初からパソコンを使っている人にとっては、分散化はあまりにも当たり前で、水中の魚が水の存在を意識しないように、ファイルという単位で情報を管理するという方法にロックインされており、他のアプローチをとりにくいのではないでしょうか。

1のアプローチは、従来の分散型のファイル管理の延長であるため、非常に理解しやすいサービスであると言えます。だから多くのユーザはこれを支持し、どんどん活用しています。
また、ここ数年、クライアント端末に情報を残さないという、「仮想デスクトップ」という、ネット上にデスクトップ環境を再現するというサービスもありますが、これは「ファイルで情報を管理する」という分散型のアプローチを、分散化の課題を残したまま丸ごと集中型で管理するというある種強引、力技のアプローチです。

確かに、ユーザのニーズが「如何にしてファイルを管理するか」というところにあるのであれば、ファイル管理サービスや仮想デスクトップサービスも非常に魅力的なサービスではあります。
しかし、ユーザの本当のニーズは、そこにあるのでしょうか。

私は、ユーザの本当のニーズは「ファイル管理」ではなくて、「データを如何に管理するか」なのではないか、と考えています。ファイルはその方法の一つの実装案にしか過ぎません。
年金機構の事件などでは、基幹システムのデータを加工しやすいエクセルにコピーしていたようですが、これは基幹システム側にユーザ(=職員)のニーズを満たす機能が備わっていなかったからとも読み取れます。
「ファイル管理」ではなく、「データ管理」に目線を移すことは、同時にセキュリティ対策にもつながります。

必要なのはファイルなのか、データなのか、を自問自答すれば、1と2のアプローチ、どちらがより適しているのか、自ずと答えが出る気がしています。

長くなったので、続きは次のエントリに回します。

ITと経営に関するお悩みはありませんか?

ITに関連する経営課題についてどんな内容でもアドバイス可能です。
お一人で悩まれずに、些細なことだと思われることであっても、お気軽にご相談ください。
もちろん、お問い合わせメールへは無料で対応いたします。